コロナウイルスによって人間の健康や自由が当たり前ではないことを痛感しています。
ウイルスと共存していかなければならないことを考えると、マスクやあらゆる対策は日常の一部になりました。
過去にもペストやスペイン風邪などによって、世界の人類が伝染病に翻弄されてきたように、パンデミックの歴史は繰り返されています。
果たしてこれが地上の性なのか?病気や戦争が当たり前なのか?と疑問が生じます。
病気や戦争が少なかった時代を遡ると、縄文時代に辿り着きます。一万年以上もシンプルで穏やかな時代が続いたそうで、現代の複雑で危うい時代から見ると羨ましい限りです。自然を敬い、四季と共存して、人々を思いやって生きていた縄文人は日本人のルーツです。このような時代を作れる祖先を誇りに思います。
世界は決して煌びやかではない日本のコロナ対策と被害の少なさに対して、疑問と不可解さを感じたとの報道。いくらグローバルな時代とは言え、緊急事態には本性が現れますので、もしかすると私たちの遺伝子に刻み込まれている縄文の記憶が呼び覚まされているのではないでしょうか。
そして縄文人はなんとパンを常食していたそうです。栗やとちのみなど、採取した木の実でパンを作っていたようでタイムマシーンがあったなら食べてみたいものです。
日本人=米という思い込みはいつからでしょう。
私のパン好きは、輸入された価値観ではなく本質的な必要性だとふに落ちた一日でした。
引用『縄文人はパン食だった』(山内義治著:渓水社)